せっかく帰って来たと思ったらそのままUターンでもするみたいに出航の支度を始めた千空には、昔から情緒というものが無さすぎる。回遊魚みたいな人だ。そういう人だから面白いんだけど。
「千空〜この荷物あっちで良い?」
「おー後でやっとくからその辺テキトーに置いとけ」
細かいことは分からないのでお言葉に甘えることにした。
この荷物の中に紛れ込んだら私も成り行きでアメリカ大陸まで行けるかな。いやいや、いたずらに船の食糧を減らすのは命取りだ。
近い内に「テメーは引き続きこっちに残ってやることやれ」と言われる予感しかしない。だからこうして理由をつけては質問したり荷物を運んだり、とにかく千空の周りをうろちょろしてしまう。どうせあと数日、大して気にもされないだろう。
小さい頃から私はこうやって千空の後ろにくっついて歩いていた。懐かしい。
「私は千空のジョシュだから!」なんて触れ回って、自分が凄いわけでもないのに何故か得意になって。
千空が本気でしてることと、私のごっこ遊びじゃ全然違うって早めに気付けたのだけが救いだ。
「ねえ、」
「あ?ちーと待ってろ、今手が離せね……」
ねえ千空、今度は私も連れてって。大樹や杠みたいな特技なんてひとつもないけど、君が動きやすいように私も少しは……なんて言えるわけない、そんなこと。
「あ、ゴメンそうじゃなくて。さっき電話でクロム呼び出しといたからもうすぐ来てくれると思うよ、カセキも連れてさ」
千空が何かを必要とする時はいつだって合理的な理由がある。彼のそういう無駄のない所がカッコいいなって、ずっとずっと思ってた。
「交代するねって言いたかっただけ」
千空の周りには、こうして彼を助けてくれる人がたくさんいる。それは千空がいつだって楽しそうだから。彼とならどこにだって行ける、なんだってできる。そんな夢を見てしまう。
そして今の仲間となら、その夢は夢のままなんかじゃ終わらない。
ゆっくりと、だけど確実に。私も自分の気持ちと折り合いをつけていかないと。
結局あの後もあちこち走り回ってあっという間に夜になって、だけど眠るのが勿体なくて気が付いたら夜明け前だった。
刻一刻と近付いてくる船出の時が怖かった。出航の準備ばかり進んで、私は心の準備が全くできてない。
「ダメだなぁ」
ここに残ってやることだって、誰かが絶対やらなきゃいけない。背を預けてもらえるのは信頼されてる証拠。一瞬でも自分の存在が、自分の気持ちが「無駄」で切り捨てられる部分だと思ってしまった。
「なーにメソメソ泣いてやがる」
「……泣いてないし」
本当に泣いてたら千空は絶対声をかけてきたりしない。だってそういうのが一番面倒くさいから。
「食糧とか衣類は一通り整えといたよ。薬品は怖いから弄ってません」
フランソワみたいに完璧に支度できるわけじゃないけど、フランソワは一人しかいないので。取り敢えず人手が足りないぶん生活基盤の一部は整えた程度です、という感じだ。
「で、今度はいつ出発?また盛大に見送ったげるから期待しててよ」
「んなもん必要ねーよ、あんだろやること」
「……そうだね」
「あーいや、違えな、めんどくせえから普通に聞くわ。名前次はどうしたい」
「どう、とは……」
どうしたいと言われても。だって今は、アメリカに、最終的に月に行くためにとにかく頑張らないといけない。私がああしたいとかこうしたいとか言ってる場合じゃないのでは。
しかし、その答えは千空にとっては正解じゃなかったらしい。今知りたいのはそういうことじゃねえと顔をしかめられてしまった。
「二つに一つだ。こっちに残るか、船に乗るか」
「えっ今更選んで良いの?それ」
「テメーが進む道をテメーで選ばないでどうすんだよ」
大袈裟じゃなく、全人類の命がかかってる。大事な人選だ。私のわがままが通って良いわけない。でももし、私が自分の意思で選んだ道を他でもない千空が受け入れてくれるのなら。
「……わがまま言ってるって分かってる。けど、やっぱり今度は船に乗りたい。千空たちと、一緒に行きたい」
「ならそーしろ」
いや……いや軽いな。あんなに悩んでいたのに拍子抜けだ。一人で勝手に暗くなってた数分前までの自分に同情するレベルには呆気なく事が運んでしまった。
でも、体は正直らしく猛烈な眠気が襲ってくる。もう夜が明けてしまう。これじゃ寝てる間に置いてかれそうだ。
「あーあ!こんなこと私に言わせるくらいならいつもみたいに命令してくれたら良いのに」
眠気を誤魔化したいだけじゃない。私にとってはとてつもなく重大だった決意をこんなに軽く流されてしまったことに対する、ささやかな仕返しだ。
「俺から言えるわけねえだろ、んなこと」
「どうして?」
「……言質取りたかったから」
「なんだそりゃ」
拗ねたように口を尖らせる千空に昔の面影を見たような気がして、どうしようもなく胸が熱くなるのを感じた。世界がどんなに変わったって千空は千空のままだ。それが堪らなく嬉しかった。
「なんだよ、やっぱ泣いてんじゃねーか」
誰かに触れるのには慣れてない不器用な手が、ゆっくりと伸びてくる。
千空がさっき欲しがってた答えを、どうやら私はちゃんと出せてたらしい。
2021.2.27 払暁
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